天台宗の開祖・最澄の生涯と教えとは?日本仏教・文化にもたらした影響も解説

天台宗の開祖・最澄の生涯と教えとは?日本仏教・文化にもたらした影響も解説

天台宗は、平安時代に唐に留学した最澄が、日本に持ち帰って開いた仏教宗派です。その後の日本仏教と文化に大きな影響を与えた最澄とは、どのような人物だったのでしょうか。

この記事では、最澄の生涯、天台宗の歴史と教え、功績などについて詳しく解説します。

こんな人におすすめ

天台宗を信仰している人

天台宗の歴史について知りたい人

天台宗の開祖である最澄について知りたい人

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最澄の生涯とは

天台宗の開祖・最澄の生涯を振り返り、天台宗を開くに至った歩みについて見てみましょう。比叡山に入山し、唐への留学を経て、天台宗を開き、亡くなるまでについて解説します。

比叡山に入山

12歳のときに出家した最澄は、14歳で名前を授かり「最澄」となります。奈良で修行に励み、19歳のときに東大寺で、国家に公認された僧侶となりました。

まもなく最澄は比叡山に入山して、1人で修行を続けます。区別なく世の中の人々が全て救われることを願って、「一乗止観院」を建て、自ら彫った薬師如来を安置して本尊としました。

唐への留学

唐で天台教学を学びたいと考えた最澄は、桓武天皇のサポートにより、遣唐使の一員として唐に留学しました。天台山にて学び、さらに禅の教えを受け、密教の伝法まで受けます。数か月間の修行の後に、経典や法具と共に帰国しました。

天台宗を開く

日本に帰ってきた最澄は、「誰でも悟りを開ける」という天台教学の教えを広めたいと考え、新しい宗派を設立したいと桓武天皇に願い出ました。

806年に、国家公認の仏教宗派として天台宗が開かれます。その後、布教を続け、822年に亡くなります。死後、嵯峨天皇により一乗止観院は延暦寺という名前を授けられました。

天台宗の歴史と最澄

最澄が唐から天台の教えを持ち帰り、日本で天台宗を開いたのには、当時の時代背景が関係しています。また、その後はどのように布教活動を進めていったのでしょうか。天台宗の歴史と最澄の歩みについて解説します。

奈良仏教からの脱却

最澄が天台宗を開く以前の日本では、奈良仏教が大きな影響力を持っていました。寺院は権力を持ち政治にも関与する一方で、僧侶たちは学究的に仏教に取り組むのが一般的でした。奈良仏教は、世の中の人々を救うようなものではなかったのです。最澄は規律を正し、本来の仏教のあり方に戻そうと考えていました。

最澄の布教活動

天台宗を開いた最澄は、中部・関東・九州地方に出向き、教えを広めていきます。さらに各地で写経をし、全国6か所に法華経1,000部を安置するための「六所宝塔」を建て、写経を納める計画を立て、実行していきます。

大乗戒壇の設立へ

最澄は戒律制度の改革にも取り組みます。当時、正式な僧侶になるためには奈良で具足戒(小乗戒)というものを授けられる必要がありました。僧侶以外の人も含む全ての人を救うためには、「大乗菩薩戒」による授戒制度の設立が必要であると最澄は考えます。

国に新しい授戒制度を認めてほしいと願い出たものの認可は下りませんでした。しかし、最澄が亡くなった7日後に、大乗戒を授けるための場所である「大乗戒壇」の設立が許可されました。

天台宗の教えとは

最澄が開いた天台宗の教えは、当時の仏教界にとっては斬新なものでした。具体的には、どのような内容なのでしょうか。一切衆生悉有仏性、真実を探し求める心、一隅を照らすという3点について解説します。

一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

一切衆生悉有仏性とは、全ての人の心の中に悟りに至る種「仏性」があるという教えです。当時の仏教界においては「仏になれる者となれない者を区別する。お釈迦様のような特別な存在だけが仏になれる」という考え方が一般的でした。

最澄は、法華経の中で述べられている「誰でも仏になれる」という考え方を大切にし、仏の教えは根本では1つであることを示したのです。

悟りに必要なのは真実を探し求める心

真実を探し求める心が悟りに至る道であるというのが天台宗の教えです。つまり、坐禅、念仏、巡礼、写経、茶道、あるいは日常生活など、悟りに至るための方法はさまざまであると説かれています。この教えは、日本仏教や日本文化に多大な影響を与えてきました。

一隅を照らす

最澄は著書「山家学生式」(さんげがくしょうしき)の中で、世の中の人々を幸せにするためには「一隅を照らす」人が必要であると述べています。

社会の片隅にいながら、輝いた存在として周りの社会を照らす生活を送ることで、その輝きを広げていこうと提唱しています。全ての人が仏になれることを認識して、他人を敬い、手をつなぎ合って暮らす社会を天台宗は目指しています。

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最澄の功績

最澄は天台宗を開いたというだけでなく、大きな功績を残しています。特に後世に大きな影響を与えたのは、日本仏教の発展の基礎を作ったということです。また、中国から日本に茶を伝えた人物であるとも言われています。

日本仏教の発展の基礎を作った

最澄の没後、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、のちに仏教各宗派を開いた僧侶達が、比叡山延暦寺で修行を積みました。浄土宗の法然、臨済宗の栄西、浄土真宗の親鸞、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮などが代表的な名僧です。

比叡山延暦寺を起点として、各宗派が発展していったため、「日本仏教の母山」と呼ばれています。

日本に茶を伝える

遣唐使として中国に渡った、最澄ら留学僧が、唐の寺で飲まれていた茶の種子を日本に持ち帰りました。これが日本への茶の伝来です。種子は比叡山麓に植えられ、現在でも日吉茶園として残され、日本の茶の発祥地であるとされています。

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まとめ

最澄は、天台宗を開いただけでなく、日本仏教の発展にも貢献した人物です。葬儀に参列した際には、最澄の影響を受けて、今の私たちの生活があることに思いを馳せてもよいかもしれません。

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監修
信長 洋輔(小さなお葬式 コラム編集長)
信長 洋輔(小さなお葬式 コラム編集長)

株式会社ユニクエスト社員
「小さなお葬式のコラム」の編集長。
葬儀葬式・法事法要だけでなく、終活・老後資金などFP関連の知識にも精通。
葬祭ディレクター1級の資格取得に向けて学習中。
葬儀業界最大級の、合計2000記事以上を管理。
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