100歳まで自分らしく凛と生き抜いた自慢の母。
母は3月に老衰で亡くなりました。享年100歳、よく生きてくれたと思います。
女性の高等教育が一般的ではない時代に生まれながら、学ぶことが大好きだったそうです。今でいう国語、とくに漢字に詳しかったですね。どんな難しい字も読めるし書けるんです。あとは和裁が得意で、よく人に頼まれては着物を縫っていました。長いお付き合いの中には芸能人の方もいたんですよ。子ども心に自慢の母でした。 もともと穏やかな人ではありましたが、18年前に父が他界してからは元気がなくなって……。でも10年ほど前に特別養護老人ホームに入ると友達もでき、楽しそうに過ごしていました。
しかし、数年前の手術の後遺症で言葉によるやりとりができなくなったんです。私はそれがとても淋しかったのですが、母は前向きでした。喜怒哀楽もちゃんと示し、認知もしっかりしながら、最後まで母らしく生き抜いたと思います。
新聞で目にした「小さなお葬式」。当日まで不安は払拭されませんでした。
「小さなお葬式」のことは、たまたま新聞に載っているのを見て知っていました。でもそのときは、「今はこんなサービスがあるのか」くらいの印象でしたね。
昨年の11月にお医者さんから覚悟するようにと言われ、そのころから妻と葬儀会社を探し始めたんです。母がいた施設は静岡の小さな町にありまして、10社ほどまわったでしょうか。地元の市役所に相談したりもしましたが、どこも高いんですよね。価格が折り合うところは内容が簡素すぎて。そんなときに「小さなお葬式」のことを思い出したんです。「あたってみようか」という話になり、まず電話をして話をうかがい、パンフレットを送ってもらいました。夫婦で検討した結果、早割の形で申し込むことに。私の弟が人工透析をしている関係で一日しかいられないため、「小さな一日葬」を選びました。
ただ、やっぱり不安はありましたよ。熟慮して決めたものの、一般的な葬儀の三分の一の値段ですからね。本当にパンフレットどおりの内容なのかと半信半疑でした。母からは「お金をかけないように」と強く言われていたのですが……自分を生み、育ててくれた母の葬儀ですから、絶対に失敗はしたくない。妻も少し心配そうでした。だから早割は先に支払いをするのですが、あえてクレジットカードを使ったのです。何かあったら対処ができるだろうと思って。
でも、すべては杞憂でしたね。
マニュアルにない小さな真心の積み重ねに、感謝の思いでいっぱいです。
その日の朝、母の永眠を報せる電話を受けると、「小さなお葬式」に連絡して現地で待ち合わせました。最初から驚きの連続でしたよ。お迎えの車は立派だし、会場のお寺はきれいで設備も整っていて、何より祭壇がとても豪華で。これには妻も驚いていました。パンフレットの写真よりはるかにいいんです。広告にはいい写真を使っているものの、実際は……ということはよくありますが、いい意味で裏切られました。
そうした物的なことに加え、スタッフの方のきめ細かなサービスにも感動しましたね。目配り、心配りが素晴らしい。行き違いでお弁当の数が足りなくなり困っていたら、すかさず「私が買ってきます!」とすぐに動いてくれたり、火葬の時刻を、こちらの都合に合わせるよう苦心してくれたり。「無理です」と言うことは簡単なのに、できることを精一杯やってくれようとする姿勢に、清々しさを感じました。葬儀という場面だからこそ、そういう真心に救われるんです。納棺の際、母に着物を掛けたとき、思わずという感じで「素敵ですねえ、縫い方もきれい」と言ってくださって……。母が縫った着物の中から、妻が時間をかけて選んだ一枚なのでね、うれしかったですよ、二人とも。
先日、無事に四十九日の法要を終え、私たち夫婦もようやくひと段落というところです。施設に入ってからずっと、妻と週に一度のペースで面会に行っていました。ここ数年は何度も危ない状況がありましたから、それなりに準備はしていました。やはり寂しいし、いろいろ思い出すと涙は止められませんが、最後に心あるお葬式で見送ることができたことに満足しています。ひとえに「小さなお葬式」のおかげだと思っています。最初の不安は何だったのか、「小さなお葬式」の方には申し訳ない思いと、今はただ感謝の念に堪えません。
小さな一日葬をご利用されたお客様インタビュー
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