肝臓を悪くしていた母。今回も退院できるだろうと誰もが思っていました。
母は、昔から肝臓を悪くしていました。そのため、入退院を繰り返す日々を長年過ごしていたんです。母は何度も生死の境をさまよい、それでもそのたびに復活する“不死身のおばあちゃん”で、父が老々介護で献身的にサポートしていました。しかし、その父も2年前に倒れて半身不随となり、近年は2人で施設のお世話になっていました。
そんな母との別れは、親族の誰もが「また退院できるだろう」と思っていた矢先のこと。体調を崩して入院してから1ヶ月ほど経った頃、母は食べ物が喉をとおらなくなりました。「お米を食べられない。米の水(日本酒)なら飲めるんだけどねぇ」などと母ならではの豪快な冗談が出ていたのですが……人間、食べ物を受けつけなくなると、早いんですね。私にとっても突然の別れになってしまいました。
「自宅で過ごしたい」という父の希望を叶えてくれるのが「小さなお葬式」でした
母が息を引きとってからは、病院から早く出なければならず、バタバタとしていました。とはいえ、亡くなった後のことは何も準備しておらず、阪神・淡路大震災後に引っ越してからは懇意にしているお坊さんもいませんでした。
そんなとき、車イスの身ながら病院に来ていた父が「最後の時間は自宅で過ごしたい」と言ったんですね。2人はずっと施設で暮らしていたので、思い出深い我が家で母との最後の時間を過ごしたかったようです。
参列する親族がそれほどいないこともあり、自宅で過ごし、葬儀のみ行える施設を姉とともにインターネットで探しました。この条件で検索して出てきたのが「小さなお葬式」です。他のサービスもいくつか見ましたが、検索のトップに出てきたこと、価格が明記されていたことが決め手で、「小さな一日葬」をお願いしました。実際に依頼したところ、ネットに出ていた通りの金額でしたし、しかも葬儀会場は有名な場所だったので安心できましたよ。
葬儀は、私の長男に母の遺影を持ってもらうなど、親族みんなで協力して行いました。ただ、父が車イスでの移動だったり他にも体が不自由な方がいたりしたので、自家用車で済ませるのは少し大変でしたね。親族がワゴン車を持っていたので何とかなりましたが、介護タクシーなども検討すればより楽になったかなと後で思いました。
四十九日法要やお坊さんの手配も「小さなお葬式」で。パンフレットの案内が役立ちました。
四十九日法要も、事前にいただいていたパンフレットを見て、「小さなお葬式」でお願いしました。お坊さんも「小さなお葬式」で手配いただいた方です。厳密な四十九日がちょうど正月三が日にかかっていたのですが、お坊さんから「皆さまが集まりやすい日で大丈夫」と言っていただいたので、別の日に執り行えました。「小さなお葬式」のパンフレットやお坊さんに教わることはとても多かったですね。
例えばそのひとつが、仏壇のことです。実は、うちの仏壇がとても複雑で……一応ある宗派の仏壇なのですが、よく見るとこの宗派にはありえない仏具が入っていたり、配置も違ったりしていました。「なぜこのような形になったのか」と、父やお坊さんも交えて話し合っていると、どうも第二次世界大戦後の混乱で、持ち主のわからなくなってしまった仏具をうちの家が引き受けていたようなんです。葬儀から四十九日をとおして、ひとつ謎が解けました。親身にいろいろな話をしてくれるお坊さんにお願いできてよかったです。
母との別れには心残りも……。葬儀の準備は早めにしておくことをおすすめします。
私はきょうだいの末っ子で、会社の同期に比べると両親の年齢が10歳ほど上なんです。そのため、介護や葬儀といった経験も同期に比べて早かったんですね。母の葬儀を終えた今、同期には「これからだぞ」という励ましの意味も込めて経験したことを話しています。
全体をとおして少し心残りなのが、葬儀前後にバタバタしてしまったことです。予想外の旅立ちで何も準備していなかった中、姉が「生前、お母さんから自分で死装束を手作りしていたと聞いた」と言ったんですね。それならぜひ使いたいと実家で探したのですが、結局見つからず、今も母手作りの装束は行方不明のまま。もしかすると母なりに自分の葬儀のことを考えていたのかもしれませんが、残念ながら実現することはできませんでした。
葬儀は本人がどんな葬儀を望んでいるか聞いたり、早めに葬儀会場のリサーチをしたり、早割に申し込んだりと、準備が必要なものだったんだなと学びました。私と同じように、いつかご家族を見送る役目を担う方には、ぜひ早めに考えておくことをおすすめしたいですね。
※一部式場ではプラン料金以外に式場利用料等が発生します。
小さな一日葬をご利用されたお客様インタビュー
どんなことでもお気軽にご相談ください
お客様サポートダイヤル
通話料無料・24時間365日