亡くなる2週間前までハサミを握った85歳の現役理髪師。
85歳で亡くなりましたが、その2週間前まで理髪師としてお店に立っていました。職人肌で、ハサミも最高級品しか使いません。今では珍しいのでしょうが、そのハサミも自分で研いでいました。最後までお客さんも多かったですよ。隣の小学校区からも来ていました。
肺気腫の持病があり、肺炎まで出て10日ほどの入院で最期を迎えました。本人はまだまだ引退するつもりはなかったようで、「この年まで現役を貫き通した」と息子の私でさえ尊敬しています。
自分のお葬式については、「参列は家族だけでいいぞ。ただ、50年以上も同じ場所で商売をさせていただいたのだから、近所の方にはお前からお礼を言っておいてくれ」と言い残していました。
ヘトヘトになった、妻の父母の昔ながらのお葬式。次は家族葬と決めていました。
「家族葬にしたい」というのは前々から考えていました。というのは、13年前に妻の母が、1年前には妻の父が亡くなりました。同じ県内の北部なのですが、両方とも昔ながらの派手なお葬式で、懲り懲りしたんです。
義理の息子でしかない私でさえ、ヘトヘトになりました。お通夜をやったり、参列者が多かったりすると、その応対やら出迎える準備やらが忙しく、「次から次へと必要とされる作業をこなしていく」といった感じです。「亡くなった人をしのぶ」といった余裕はまったくありません。
「要望を聞いてもらえた」との口コミと、葬儀のパターンが多いので、小さなお葬式を選びました。
父が亡くなる2ヶ月ほど前だったろうと思います。まだ亡くなるとは私も思っていないものの「年齢を考えるとそう遠くはないだろうから、お葬式のことも考えておいたほうが良い」と家族葬のことを調べ始めました。最初に目に入ったのが「小さなお葬式」でした。
家族葬を扱っている会社はほかにも見つかりました。ただ、小さなお葬式には、利用者からの「こちらの要望を聞いてもらえた」という声が多かったのと、「小さなお別れ葬」「小さな家族葬」などいろいろなパターンがあったのが決め手になりました。「もしものときは、ここにお願いしよう」と前もって考えていたんです。
お葬式が現実のものになって、やはり小さなお葬式にお願いし、「小さな一日葬」を選びました。父に先立たれた母も、「大げさにしなくて良い」とすぐに同意してくれました。
小さな一日葬にはお通夜がないのが、少し不安と言えば不安でした。ただ、「結果的には、なくて良かった」と思っています。告別式では、先に自治会から遺体が出る時間を近所の人たちに連絡してもらいました。それでみんなが集まったので、父の遺言である「近所の方にはお前からお礼を言っておいてくれ」もその場で果たせました。通夜をやっていたら、少しですがやらなければいけないことが多くなり、こういった機会を作ることも思いつかなかったかもしれません。
納棺も自分たちでしたので、しっかりとお別れの言葉も掛けられました。
小さなお葬式の担当者には感謝しています。何をやっても迅速丁寧でした。また、肩代わりできるところは全部やってもらっただけではありません。手順のひとつひとつが持っている意味などをマンツーマン状態で教えてもらうこともでき、「自分たちが父を見送ろうとしている」との実感を持つことができました。これも妻の父母の葬式とは大きな違いです。
また、葬式は大げさにするほど、「あれをやったほうがいい」「この部分がしきたりと違う」と言い出す人が増え、それに振り回されがちです。遺族が最も神経をすり減らすのはこういったところでしょう。参列者をごく近い身内に限り、しかも小さなお葬式の担当者がいたのでこれも避けられました。
担当者が立ち会ってくれたおかげで、納棺も私たち夫婦や私の子どもたちでできました。遺体を見つめながら「おやじ、ありがとう。長い間理髪師としてがんばったね」などと感謝の言葉を掛け、自分たちの手で身なりを整えてあげました。良いお別れができたと思っています。
※一部式場ではプラン料金以外に式場利用料等が発生します。
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