80代でもエステに通っていた美人の母。父も母が大好きでした
母は美人でなにしろおしゃれ好きでした。80歳を過ぎても毎月エステに行き、娘の私がびっくりするほど爪もネイルでキレイにしていました。母の4つ歳上で12年前に亡くなった父は、5人兄弟の長男でしっかり者。一方、母は5人兄弟の末っ子。そんな末っ子気質で美人の母に、おそらく父はお見合いで一目惚れをしたんだと思います。父は最期まで母のことを心配して、心から母を思っていました。母は若い頃から晩年まで美しく、ずっと身ぎれいにしていました。
公務員の父が転勤する度に、仲良しの4人家族は全国どこでも引っ越しました。渋谷付近の官舎に住まいを移したときは、当時、私が大学生だったこともあって、毎週末に母と渋谷のデパートまで買い物に行っていました。デパートを上の階から下の階までくまなく見て、両手に手提げ袋を提げ、ランチでビールを飲みながら。私と母は洋服のセンスや感覚がどこか似ているので、きっと気が合ったんでしょうね。
コロナ禍で自宅の隣の介護施設に母を呼び寄せて暮らした日々
コロナ禍となり、群馬の実家で一人暮らしをしていた母を私の住む横浜に呼び寄せました。理由は、母は入浴などの日常生活が徐々におぼつかなくなってきたのと、私の家の隣に小規模多機能型居宅介護ができたからでした。コロナ禍でなければ、母は施設にいながら、私の自宅に泊まることもできたでしょうに。そういうコミュニケーションはできなかったのはちょっと残念でしたが、お隣ということもあり、母が部屋の中から手を振ってくれたり、頻繁に差し入れができたりしたのはうれしかったですね。
横浜に母が来て2年経った2023年8月頃から、母は食べたり飲み込んだりすることが徐々に難しくなっていきました。一度、救急病院に入院して、施設に戻ってきたときに、私が毎日食事介助で食べさせていたら、だんだん食欲が出てきました。しかしその後、施設内でコロナが発生して、2週間ほど私が施設に入れなくなると、また母の食欲はなくなります。いよいよ栄養が摂れなくなってきました。
そして救急病院に母が搬送されると、医師の言葉は「今日か明日には……」とのことでした。急に入院したので、看護師さんが私の電話を母につないでくれ、私が「ママ、なんでもいいから食べなくちゃダメだよ?」と言うと、母は「みんな同じことを言う」と返してきて。横で看護師さんが笑っていましたね。
いよいよ死期を悟ったのか、翌日看護師さんがまた私の携帯に連絡をしてきました。オンライン通話の様々なアプリを試して、なんとか顔を見ながら話ができて、私が「大丈夫だからね」と話して、電話を切りました。
10分もしないうちに、再び看護師さんから連絡がありました。「いま、亡くなりました」と。「絶対、お母さん、あなたを待っていたと思うわ」と、看護師さんは言ってくださいましたね。
エンバーミングの技術で、本当にキレイな母のまま送ることができた
「小さなお葬式」を選んだきっかけは、介護施設からいただいたパンフレットでした。もともと母は年齢も年齢ですし、横浜には友人がいるわけではないので、お葬式は家族だけでと考えていました。また私自身もコロナ禍でお葬式に参列したときに感じたのは、故人に立場がある場合は別ですが、そうでない人が亡くなった場合は、参列する人たちの心の温度が共有できる規模の方がいいなと感じていました。
お葬式でよく聞く「料金が低めのプランで考えていても、あれこれ足していくと、いつの間にか規模が大きくなる」という売り込みトークが、小さなお葬式にはありませんでした。また私の家の周辺は火葬場が少なく、待たされる地域でしたので、小さなお葬式さんに1週間母を預かっていただいて、それは本当に助かりました。
小さなお葬式で感動したのは、遺体の腐敗を防ぎ衛生的に保存するためのエンバーミングの技術です。家族全員が式を終えた後に「エンバーミングをお願いして、本当によかった」と言い合いました。あまりに母の顔が美しくて、亡くなった母の顔を写真に収めたいくらい。孫たちも「ばあば、キレイだね」と口々に言い、私自身も「こんなにキレイだったんだ。ウチのママは!」と、キレイな母の姿を目に焼き付けて、送ってあげられた。それが本当にうれしかったですね。
※一部式場ではプラン料金以外に式場利用料等が発生します。
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