優しくも厳しい「昭和の父」
京都で中小企業の経営者として活躍していた父。優しいけれど厳しい面もある、いわゆる「昭和のお父さん」。ゴルフやアウトドアなど活動的で、私と弟をよく旅行やキャンプに連れて行ってくれたものです。
気は強かったですね。中学生の頃一緒にテニスをしたのですが、子ども相手に本気で勝負してくるほどの負けず嫌いなんです。当時の私としては面白くない気分でした。でも今振り返ると、70歳まで経営者として忙しくがんばっていましたので、常に気を張っていたのでしょうね。
私は転勤族の夫と結婚して実家を離れました。夫が関西勤務の時期は、実家にもよく行きましたよ。父と母は2人の孫たちをすごくかわいがってくれて、遊園地や奈良公園などいろんなところに連れていってくれました。18年前に母が亡くなってからは、父は一人暮らしになりました。ご近所の方と健康麻雀やグラウンドゴルフをやったり、あとは家庭菜園で野菜作りにも精を出したりして、元気にすごしていました。
父の言葉「もうあかんと思うてしもうたら、あかんねん」を思い出します
うちの息子たちも交えて家族でいろいろ話をしていたあるとき、「もうあかん、と思うてしもうたらあかん」と言ったことを覚えています。戦争を経験した世代ですから、辛い思いもしたでしょうし、経営も一筋縄ではいかなかったと思います。そんな父の懸命な生き方を支えてきた言葉だったのでしょうね。
一方で、とても優しい言葉も覚えています。母はがんで余命宣告をされていましたが、告知はしていませんでした。父は母に「自分が先に死んだらあちらで待っておいてやるから、もしお前が先に死んだら待っといてくれ」と話していました。告知はしなかったけれども、やんわりと別れを伝えたのだと思います。
いつも私に心配かけまいとする父が、「体がしんどい」と電話をかけてきたのが2年前のこと。結果的に脳梗塞になって、左半身が動かなくなる重い後遺症が残りました。このまま離れて生活するのは難しいことから、東京に呼び寄せて入院。それから病院と施設を行き来する生活になりました。
少しずつ体力がなくなっていく父。急に私の子ども時代に戻ったり、おかしなことを言ったりすることもありました。でも「それ違うよ」などと否定せずに、「そうだね」と言いながら聞くように心がけました。その方が父の心が穏やかになると思ったからです。私にできることはそれくらいでした。
葬儀に関して必要なものと不必要なものをアドバイスしてくれた
父の最期のとき「もう言っていいかな」と思って、手を握って耳元で「実は伯母ちゃん(父の姉)と猫が亡くなったの。先に逝くと言っていたよ」と伝えたのです。それを聞いてからすぐに父は亡くなりました。安心してくれたのかもしれません。
小さなお葬式は、脳梗塞で倒れた2年前に医師から「今日無理かもしれない」と言われて一度ご連絡していたのです。父は自分の両親の葬儀が大掛かりで苦労した経験から「自分の時は小規模な葬儀にしてほしい」と遺言があり、葬儀に呼ぶ人も決めていました。関西からの親戚も宿泊せずに済むので、小さな一日葬をお願いしました。
担当の方は、気がかりなことがあればすぐにクリアにしてくれました。葬儀関係の業者さんへの「心付け」はしてもしなくてもかまわないとのことでしたので省略しました。一方、父の体の状態でシートを追加したほうがいいというアドバイスは承諾しました。必要なことと不必要なことを明確にご提示してくれてありがたかったです。葬儀の後の手続きもわかりやすい資料をいただき、関西の霊園での納骨までスムーズに終えることができました。
私は趣味で陶芸をやっているのですが、父が亡くなってから、小さな六体地蔵を創り、写真の横にちょこんと置いています。祈りが伝わりますように。
※一部式場ではプラン料金以外に式場利用料等が発生します。
小さな一日葬をご利用されたお客様インタビュー
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