自分の死期を悟っていた母。コロナの影響もあり、悔やまれる最期でした
69年生きてきた中で、私が母に怒られたのはたったの2回ほど。おだやかで優しい人でした。すごく器用で、料理が得意。洋裁も好きで、足踏みミシンを使ってよく縫物をしていましたね。自分で持っていた紫の着物を解いて、上下の洋服を作ったりもしていたんです。
そんな母でしたが、去年くらいから入退院を繰り返すようになりました。今年初めて入院したのは7月11日のこと。医師の診断は、脳梗塞と脳溢血でした。今思えば、いつも具合が悪いときは病院に連れて行ってくれという母が、その日は言わなかった。自分の死期を悟っていたのだと思います。
11日に入院してから21日までは息子と私とでちょこちょこ母に会いに行っていたのですが、22日にコロナの影響で面会謝絶になり、母に会えなくなりました。医師には胃ろうをやって施設に入れることを勧められましたが断り、少し状態が良くなったら母を自宅に連れ帰ることにしました。そのことを、看護師さんが誤って母に伝えてしまったんですね。本人は明日にでも、すぐに帰れると思ったみたいで……。「明日帰るときに、お薬ばもらわんといかんね」と。それが、母が私に言った最後の言葉になりました。
家族だけで母と過ごす時間を大切にしたいと思い、小さな火葬式を選びました
往診の先生と訪問看護の看護師を紹介してもらって、やっと母を自宅に連れ帰れたのが8月5日。そして、翌朝8時に亡くなりました。母が帰ってきてから一晩、私と息子とで寝ずに世話をしましたから、家に帰ってきたという意識は母にもあったのではないかと思います。
小さなお葬式のことは、2~3年前にラジオCMで聞いてから知っていました。資料も取り寄せていたので、母が亡くなる少し前に、何かあったら電話すると連絡していたんです。それで、母が亡くなった後、すぐに電話をしました。
入院してからは母も家に帰りたいという想いが強くありましたので、うちに何日か寝かせたいと電話で相談したところ、提案してもらったのが小さな火葬式でした。うちは長らく唐津のお寺にお世話になっていて、火葬式なら自由にお坊さんも呼べるということで、そちらのプランに決めました。
お花が好きだった母に、きれいな花束を持たせてあげることができました
亡くなった後は訪問看護の看護師さんと一緒に清拭をして、化粧も私がしてあげて、母手作りの洋服を着せて、棺の中に入れてもらいました。小さな火葬式は、祭壇や飾りの生花はないプラン。けれども、棺の上にとても豪華できれいな花束を1束飾ってくださいました。それがすごく良かった。
通常の葬儀みたいに1本1本のお花を棺に入れるのではなく、その美しい花束をそのまま、母の胸元においてもらいました。母は生前、お花も好きだった人。まるで花束を抱いて眠っているようでした。最後に娘が口紅をして、その口紅も棺の中に。
生きているときはわからないのに、いざ亡くなると、いろいろと悔やむことばかり……。看護師さんの伝達ミスやコロナでなかなか母と会えなかったこともあって、しばらくは心の整理がつかなかったんです。でも、母の最期の姿を見て、少し安心することができました。
かけがえのない最後の時間をつくってくれた担当者の方に、心から感謝しています
担当者の方がてきぱきしてくださって、説明もきちんとしてくださったので、不安なことは何もありませんでした。ただ、家族葬の場合はどうしても少人数で送ることになりますから、棺を運ぶときなどのために、少なくとももう1人来てくだされば良かったと思います。 それ以外は本当に、良いことばかりでした。母を連れて帰ってきた後も四十九日までは小さな祭壇のようなものを自宅に置いてくださったので、近所の方がお参りに来てくれたときにも対応できました。
担当者の方が全然前に出られなくて、とにかく私たちの後ろで後ろでと、補助してくださるような感じだったことも非常に印象に残っています。常に控えめで目立たないようにしてくださったので、別れのときまでずっと母のそばにいられました。それは本当にありがたかったなと思います。家族みんなで送ることもできましたし、それらのことがもう唯一、今は私の励みになっています。
300人を呼んで大々的に行った兄の葬儀、葬儀場で行った父の家族葬を経て、今回母の葬儀も経験し、自宅で身内だけでできる葬儀が本当の葬儀かなって、私は思いましたね。散骨なんかも視野に入れて、これからはもう、家族葬の時代なのかなって。
いつになるかはわかりませんが、自分のときにはまた、小さなお葬式にお世話になろうと思っています。そのことをきちんとエンディングノートに書いて、子どもたちに伝えるつもりです。
小さな火葬式をご利用されたお客様インタビュー
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