一緒にテレビを観ているだけでも会話が弾む父娘でした
父は母と二人三脚で縫製の会社を起こし、兄と私を育ててくれました。製品は大量生産ではなく100着くらいの限定生産。仕上げた服はセレクトショップやデパートなどに納めていたようです。福島県の工場と行き来するなど経営は順調で、組合長も務めていました。25年前、母が亡くなったのを機に会社は兄と従業員に任せ、私たち夫婦と一緒に暮らすことになりました。夫は単身赴任で週末だけ家に戻っていましたので、平日は父と2人暮らしの日々でした。
父はとても明るくて、他愛のない小さな話を大きく膨らませることができる人。周囲には多くの友人がいました。私もおしゃべりは好きなので、2人でいるとただテレビを観ているだけでも話が盛り上がりましたよ。父はいつも近くにいる、それが当たり前でした。
私はそんな父が小さい頃から大好きで、なくてはならない人でした。母を亡くしたときも、父が私の悲しみを受け止めて支えてくれたから乗り越えられたと思っています。
介護を介護と感じない、私にとっての活力でした
80歳を過ぎてから、父にガンが見つかりました。最後の2年間はパーキンソン病も発症し、移動もままならい状態でした。
パーキンソンを患っていたとはいえ、車椅子を利用してギリギリまで外食もしていました。9月の末に中華のお店に行きたいというので予約をしていたのですが、その前日に胸が苦しくなり救急車を呼んで入院。そのまま翌日には帰らぬ人となりました。
実はこのとき、私たち夫婦が2カ月以上前にコロナ陽性になり、その余波なのか父もPCR検査で陽性と出たのです。したがって、私は濃厚接触者扱いとなり病室に入れず、兄夫婦が看取りました。私が託したスマートフォンを首にかけて、病室で看護師さんが取ろうしても絶対外さなかった。最後まで連絡を取り合いました。
約8年間の在宅介護生活でしたが、私にとって父の介護は「介護」という感覚ではありません。自分自身の活力になっていたと思います。
元気な頃は、食事の支度や洗濯まで引き受けてくれた父。病気を抱えつつ、それでも自分の楽しみを見つけて、毎日明るく生きていました。もっともっと、お世話したかった。
葬儀に必要なことをしっかりレクチャーしてくれて助かりました
病院の駐車場で亡くなった知らせを受け、兄夫婦と葬儀会社をどうするか相談しました。身内だけで見送りたかったので、検索をしてみて「小さなお葬式」の情報にたどり着きました。
葬儀のことを何もわからない私たちに対して、決して上から目線ではなく、必要な手続きや段取り、マナーを教えてくれました。例えば、私の地域では申請書を出すと、埋葬に対してのお見舞金が受け取れることなど、教えていただかないと分かりませんでした。私たちがやりたい葬儀、受けたいサービスをきちんと理解してくれて、かかる費用や必要な準備などを丁寧に説明してくれたので、安心しておまかせできました。病室に入れなかった私のことを慮ってか、病院から父を自宅に数日間安置してくださり、お別れの時間を作ってくれたことも感謝しています。
おかげさまで葬儀ではしっかり見送りができました。もう父が亡くなって数ヶ月経ちますが、以前の日常と同じように、仏壇と写真に向かって「行ってくるね」「ただいま」と声をかけています。いるのが当たり前のように話しかけていますよ。写真の笑顔のままで、私たちを見守りながら、そばにいてくれている気がしてならないのです。
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