時に怖く、時に優しい母を襲ったパーキンソン病
父が理髪店を営んでいたため、私も理髪師になるべく、東京で修業したのが40年ほど前のこと。当時の手取りは4万円くらいで、その中からごはんを食べなきゃいけません。それに夜遅くまで練習するため、アルバイトなんてとてもできず、銭湯に行くためのお金も時間もありませんでした。そんな私の置かれた状況を知っていたのでしょうか。母は、毎月の仕送りの中に小遣いをそっとしのばせてくれていました。普段は気が強く、私は叱られてばかりでしたが、そんな母の優しさが嬉しかったことを今でも深く覚えています。
母は50歳頃から、体が動かしにくくなったり震えたりするパーキンソン病を発症しました。当時の私は父が営む理髪店で一緒に働き始めた頃。母の介護は主に父が行い、夜中になると1時間ごとにトイレに行く母の移動をサポートしていました。そんな父も15年前にがんで他界。その後は私が母の介護を引き継ぎましたが、仕事と介護の両立はなかなか難しく、知り合いの勧めもあり老健でお世話になることに。施設の方には本当に良くしていただき、母も穏やかに暮らしていたと聞いています。最期に通院の付き添いに行った2023年5月の時も本当に元気で、「このまま90歳まで元気にいてほしい」と思っていたほどです。
母が亡くなる覚悟をした私が、生前に行った2つのこと
母の体調が急変したことを老健のスタッフから聞いたのは、その翌月のことでした。パーキンソン病の進行により食べ物が飲み込みづらくなったり微熱が続いたりしていたため、入院することに。肝臓に膿が溜まり、食事を摂ることはままならず、意識も朦朧とした状態が続いたためホスピスに転院。亡くなったのは、2023年10月のことでした。
母が亡くなることはある程度覚悟していたので、2つの準備を進めていました。1つは、死後に提供された脳を冷凍保存し、難病の研究に役立てる「ブレインバンク」の生前登録です。母は30年以上にわたりパーキンソン病の闘病を続けていました。その生活を医療の面で支えてくれたのが、お世話になった大学病院の皆さんです。母の体が医療の発展に貢献できるなら……。そんな思いで、ブレインバンクに登録したのです。
もう1つが葬儀の準備です。父が亡くなった時、葬儀会社の言われるままに次々と決めてしまった反省から、今回は納得のいく葬儀にしたいと思っていたんです。母には身寄りが私と妹以外にはおらず、ささやかなお見送りができれば良いと考えていました。そこで、費用を抑えても納得のいくお葬式ができる「小さなお葬式」の資料請求をしたのです。
小さなお葬式は「転ばぬ先の杖」と、心から実感
小さなお葬式のスタッフの方は、本当に親身になって私たちをサポートしてくれました。父の時がとても事務的に感じただけに、余計親切さが際立った印象です。中でも「献脳」を行う病院への搬送を柔軟に対応してくれたことや、斎場の手配をスムーズにしてくれたことは本当に嬉しかったですね。
葬儀には、私と妹だけでなく、理髪店の隣にあるクリーニング店の方々2名も参列していただき、ささやかですが本当に良い時間となりました。スタッフの方には、とても感謝しています。
父から受け継いだ理髪店には、私の代になっても通い続けてくれる常連の方がたくさんいます。そんなお客様には、自身の経験を踏まえて小さなお葬式を勧めているんです。転ばぬ先の杖ではないですが、あらかじめ準備しておくと、遺された家族も安心しますもんね。今振り返ると、穏やかな気持ちで見送りができて、心から良かったと思います。
小さな火葬式をご利用されたお客様インタビュー
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