母といえば料理上手。母が作るものは何でも美味しかった
母は生涯専業主婦で、やさしく、とても料理上手でした。食卓にはいつも季節のお料理が並び、お正月のおせち料理は三段重を一から手作りするほど。中でも、母の手料理といえば「ちらし寿司」でした。何かお祝い事があれば必ずちらし寿司。春にはふきが入っていて、母ならではの思い出の味です。
数年前に亡くなった父は釣り好きで、釣ってきた魚を父がさばいて母が料理する。もうずいぶん昔の話ですが、それが私たち家族の日常でした。母の料理はとにかく何でも美味しかった。父が亡くなってからも、お供えのお料理を毎日欠かさず作っていたのを思い出します。
今では母の料理好きを私が引き継ぎ、料理の仕事をしています。母が得意な和食はもちろん、韓国料理や中華料理とさまざまなジャンルに挑戦。今の私があるのは、間違いなく母の影響だなと思います。
病院からの帰り道は、母と2人だけの思い出の時間
歳をとった母は足を悪くして自宅で転倒し、その後、施設へ入ることになりました。入所前日には母と私2人で大泣きしたのを今でも覚えています。入所後は私たち夫婦か兄夫婦が週末ごとに母を訪ね、他愛のない話をして過ごしていました。
施設から病院への通院にはいつも私が付き添い、車いすで母を病院へ。その帰り道に「ちょっとお茶でもしようか」「今日は何か食べて帰ろうか」と2人で寄り道するのが楽しみでした。母が好きなお寿司を食べに行ったり、パンも好きだったのでパン屋に寄ってみたり。食べることが好きな母にとっても楽しい時間だったと思います。でも最後の方は、食べ物をのどに詰まらせやすくなったこともあり、そんな機会がなくなりました。寂しかったですね。
最期は私たち夫婦と三男で看取りました。三男は母(祖母)の手を握って「ありがとう、ありがとう。頑張るよ」と何度も母に伝えていました。三男はシンガーソングライターで、母が亡くなったあとに「おばあちゃんの歌」を作って、一度だけ聴かせてくれたんです。息子たちにとってもおばあちゃんはいて当たり前であり、だからこそ大きな存在だったのかもしれません。
形式にはこだわらず、思いに合った形で見送りたい
葬儀については兄夫婦共に、静かに落ち着いて見送ってあげたいという思いでした。母自身、交友関係はあまり広くありません。母、父の兄弟とも高齢で遠方の方も多く、足を運んでもらうのもはばかられる状況。形式にこだわるよりも、一番身近な私たち家族の思いに合った形で母を見送りたかったので、小さなお葬式に決めました。
スタッフの方と相談して、葬儀前日には納棺師の方に来ていただき、母の体を清める様子をすべて拝見しました。母は、家にいてもちゃんと肌のお手入れをしていたので、いつも美しかった。生前の母のようにきれいにしていただいて、そのお仕事の素晴らしさに驚かされました。おかげで、「悲しい」という思いより、「お母さん、きれいにしてもらえて良かったね」と思えたことがとても良かったです。
最後のお別れのときには、普段通り家族みんなで母の思い出話をしながら花を捧げ、見送りました。「お母さん、ごめんな。もっと遊ばせてあげたら良かったな」など、家族それぞれが、母にたくさんの言葉をかけることができました。私としては、母をいろんなところに連れていってあげたかったと後悔の念もありましたが、最後に母への素直な思いを言葉にできたことで、気持ちが少し軽くなったように思います。そんな時間を十分に持てたことに感謝しています。最初から最後まで良くしていただき、私たち家族らしい葬儀ができました。
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