小さい頃は甘えん坊で母にべったりでした
私は両親と姉、私の4人家族で、大阪で生まれ育ちました。母は大阪の女性らしく明るくて頼りになる人。姉に障がいがあって施設に入所していたものですから、母もいろいろ大変だったと思います。病気の兄弟姉妹がいると、そちらにかかりきりになることも多いと聞きますが、母は私に寂しい思いをさせないように、姉弟の両方に愛情を注いでくれました。幼少期はそんな母にべったりで、甘えん坊だったかもしれません。
母は専業主婦で仕事はしていませんでしたが、家計のやりくりはとても上手で、しっかり貯金をしてくれていました。私を大学まで進学させるため、学費はもちろん、勉強の面でも私をはげまし支えてくれて、大学に進学して法律の勉強することができました。
その後、私は東京の製薬会社に就職したので、母とは離れて暮らすことになりました。でも離れた後も、父と一緒に旅行などに出かけて楽しんでいる様子でしたね。毎年夏に帰省するのがお互い楽しみでした。結婚して孫を連れて行くようになっても、私が子どもの頃から大好きだった卵焼きを出してくれたのがうれしかった。何でもない普通の卵焼きですが、今振り返ると思い出の味だったと思います。
施設や病院で過ごすようになってからは、なかなか会えなかった
父は10年以上前に亡くなり、母は一人暮らしをしていましたが、年齢の割はとても元気で過ごしていたと思います。ところが、7年ほど前に転倒して骨折しまったのです。たまたま私が帰省しているときだったので、すぐに病院で手当てできたのはよかったのですが、長く入院となり、その後は老人施設に入所しました。私たちも帰省すると施設や病院に会いに行っていたのですが、そのうち新型コロナ感染症が流行してしまい、直接会えなくなり、動画での面会になってしまいました。
感染症の流行が落ち着いてからも、あまり体調は回復せず、寝たきりの期間も長かったです。それでも、孫やひ孫もたちと年に一度は見舞いました。寝たきりになってしまってからも、聞こえているかどうかわからないけれど、耳元で話をしたものです。
ずっと心臓は丈夫だったのですが、それでも今年に入ってから病院から体力が落ちてきていると言われたんです。ただ、緊急という感じではなかったので、まだまだ命をつないでくれると思っていました。ところが、それから1週間目に「呼吸が弱くなっています」と連絡があり、しばらくして亡くなってしまいました。ずっと寝たきりだったとはいえ、私たちにとっては急なことでした。
東京と大阪で離れていたが、臨機応変に対応してくれた
小さなお葬式に連絡したのは、以前からテレビコマーシャルなどで名前を知っていたからです。父の葬儀のときは母が仕切っていたので、今回は葬儀の段取りがわからずとまどいましたが、小さなお葬式の担当の方がとても丁寧にご説明してくださったので、本当に助かりました。
シンプルに見送りができる「小さな火葬式」は、大阪と東京で離れていて参列者が少ない私たちのような家族にはちょうど良いプランだと思います。火葬場も混雑しているということで心配していましたが、担当の方が熱心に探してくださって、少し離れた場所に空きがあるのを見つけてくれました。火葬式の際も、待機する時間に「ここでお待ちください」とゆっくりできるスペースを確保してくれて、落ち着いて待つことができました。料金についても後で負担になるようなことはなく、最初のお話通りで進めていただけました。余計な心配に心を煩わせることなく、母に「これまで支えてくれてありがとう」と、感謝を込めて見送ることができました。
小さな火葬式をご利用されたお客様インタビュー
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