どれだけ時間がかかっても自分のことは自分で
「自分でやれることは自分でやる」、母はそんな人でした。 仕事も家事も器用に何でもこなす。「本当にすごい!」と、大人になって初めて気づきました。口八丁手八丁、喜怒哀楽がはっきりしていて、笑うときはスペシャルに笑います。あまりに大笑いするので、みんなつられて笑っちゃうくらいです。笑うだけで周りを楽しくさせるような人でした。
父が亡くなってからは、91歳まで徳島で一人暮らし。私が毎月、大阪から徳島へ行き、日常生活のサポートをしていました。生活の至るところに母なりのこだわりがあり、それを見守るのも私の役目でした。朝ごはんは必ずヨーグルトで、すりごま、黒豆、ゆで卵、バナナをのせて食べることが母流です。 自分で準備し、キッチンからテーブルへ。すり足で、ゆっくり、ゆっくり運ぶんです。食後はお薬を自分で出し、テーブルに並べます。飲んだかどうか忘れてしまうから、飲んだあとの薬殻もテーブルに置いていました。 兄には「手伝ってやらんでええんか?」と聞かれることも多かったですが、「自分でできることは自分でやらしたって」と、母のペースは崩さないようにしていました。
家族が気持ちよく過ごせたのは母のおかげ
母はあらゆることに完璧で、脳梗塞で倒れた父の介護も約10年、ほぼすべて一人でやり切りました。寝たきりだった父の体には床ずれ一つできず、病院の方が驚くほど隅々までケア。母にとって、小学校の同級生だった父は憧れの存在で、「お父ちゃんは級長(学級委員)やったんや」 と、うれしそうに話してくれたのを覚えています。父のためなら何でも一生懸命でした。
でも一方で、ちょっと潔癖すぎるところもありました。家の中と外で服は別々。帰ってきたら必ず玄関で着替えるなど、母なりのルールがたくさんありました。冷蔵庫に食べ物の匂いがつくのが嫌で、保存容器をさらにナイロン袋で2重、3重に包むんですね。それを見た兄が「中身が全然分からへん」と言うこともありました。今では笑い話ですね。けれどその分、母と住んでいた家はきれいで、とても気持ちよかったです。
そんな母でしたが、自宅で転倒したのをきっかけに、大阪で私たちとの同居を決意したようです。兄が病気を患っていることもあり、母自身も、兄夫婦も、母の一切を私に任せてくれました。 最後に母と過ごせる機会が私に回ってきたのも何かの巡り合わせ。夫の協力もあり、親孝行できたことに感謝しています。
何もかも思い描いたとおりのお葬式
葬儀についても、私がすべてを任されました。最後の夜をどうしても母と一緒に過ごしたくて、お通夜は必ずすると決めました。葬儀自体は非常に満足いく内容で、母の見送り方、会場の対応、交通アクセス、当日の流れ、費用、全てにおいて思い描いたとおりのお葬式ができたと思います。思い付きにも対応してもらえて、困ることがひとつもありませんでした。
また、今回の葬儀をきっかけに、自分自身の葬儀の計画ができたこと、それを息子たちとちゃんと話せたこともありがたかったです。私たち夫婦も、母と同じように見送ってもらうと決め、今回のスケジュールや費用の内訳など、子どもたちが困らないようファイルにまとめて残しています。
このインタビューのお話をいただいたときにも、「あんなにいいお葬式ができたことは私の誇りやわ」と改めて振り返りました。 みんなでゲラゲラ大笑いし 、悲しいというより楽しいお葬式、笑い声が聞こえる理想のお葬式でした。私もそうしたいと思っています。
忘れられないお葬式をありがとうございました。
※一部式場ではプラン料金以外に式場利用料等が発生します。
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