日本人の中に浸透している仏教ですが、その開祖であるお釈迦様についてご存知ですか?
偉人として本や漫画になってもいるため知名度はありますが、実際に、何をした人なのか、どんな人なのか、ということはあまり知られていません。
今回はそんなお釈迦様の人物像にスポットをあてて紹介します。
<この記事の要点>
・お釈迦様は「老い」「病」「死」という人生苦に直面して悟りの道を目指した
・「悪を行うことが新たな悪を促す」ことを意味する「悪因悪果」の教えがある
・お釈迦様は現世における唯一の仏とみなされる場合と、三世十方の仏の中の一人とされる場合がある
こんな人におすすめ
お釈迦様とはどんな人なのか知りたい方
お釈迦様の教えを知りたい方
仏教は、飛鳥時代に百済(朝鮮半島にあった国)から伝わり、その開祖にあたるのがお釈迦様です。お釈迦様は本名を「ゴータマ・シッダッタ」あるいは「ガウタマ・シッダールタ」といい、古くは想像上の人物として扱われていましたが、お釈迦様の遺骨が発見されたことから現在では実在した人物とされています。
生まれは、紀元前7世紀~紀元前5世紀頃のネパールで、シャーキャ族の王・シュッドーダナの子供として生まれました。つまり、お釈迦様は王子だったわけです。
お釈迦様は「老い」、「病」、「死」という人生苦に直面し、29歳の時に出家。苦行の後に35歳で悟りを開き、それを広めるための教団が誕生しました。その後は80歳で亡くなったとされていて、死後、お釈迦様の言葉を間違えずに伝えるため、500人の弟子全員が聞いたとする、教えのみを経典として書き記したそうです。ちなみに釈迦というのは、サンスクリット語のシャーキャムの音訳で、「釈迦族の聖者」を意味する釈迦牟尼(しゃかむに)の略語です。釈迦族というのはお釈迦様が生まれた部族のことです。
お釈迦様は意外にも人間くさい人柄だったようです。
悟りを開いたとはいえ、元は裕福な暮らしをしていた王子様だったわけですから、当然といえば当然かもしれません。
お釈迦様は「老い」、「病」、「死」という人生苦から逃れるために、悟りの道に入ったわけですが、それらは人間なら誰しも怖いものです。仏門に入った理由が普通の人間と同じ悩みという点は、非常に人間くささを感じます。お釈迦様の父が出家に反対したときには、自分が老いない、病気にならない、死なない、不幸にならない、という願いが叶えられれば国王になると言ったそうです。少しワガママなお釈迦様ですが、叶うはずのない理想を要求するところから、理想主義者的であることがうかがえます。
悟りを開いたあとのお釈迦様は、広い心を持っていましたが、悪事に対しては厳しい人でした。その厳しさは教えの中にも表れており、「因果の道理」という教えがあります。その中に、悪因悪果(あくいんあっか)という考え方があり、「悪を行うことが新たな悪を促す」ことを意味します。また、虫や小動物であっても殺生を拒み、雨季の時期には、誤って虫などを殺してしまう可能性があるからと、教団員を一箇所に集めて勉強ばかりしていたそうです。
お釈迦様は、釈迦如来、あるいは釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)と呼ばれます。これは、お釈迦様を人ではなく、仏(仏陀:ぶっだ)として敬うときの呼び名です。仏教の宗派によっても変わりますが、お釈迦様は現世における唯一の仏とみなされる場合と、三世十方の仏の中の一人とされる場合があります。
三世十方とは、三世(過去・現在・未来)と、十方(東西南北・東南・西南・東北・西北・上下)を合わせて、「どこにでも存在する」ことを意味します。
釈迦如来は仏像も数多く造られていて、日本でも比較的よく見かけます。お釈迦様の伝記を元に作られた仏像が多く、説法像、誕生像、苦行像、降魔像(ごうまぞう)、涅槃像(ねはんぞう)などがあります。
上記の中でも、説法像が最も一般的なものであり、お釈迦様が法を説く姿を表現しています。奈良の法隆寺や、京都の大報恩寺などにある木像が有名です。
お釈迦様が残した言葉の中には、名言と呼べるものがたくさんあります。その中からいくつか紹介しましょう。
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」
お釈迦様が生まれた際に発したと言われている言葉で、「世界で一番尊いのは私である」ということですが、意味の解釈は諸説あります。「尊い」というのは、苦に悩むものを安心させるために誕生したから、という他人中心な解釈と、悟りを開いたことが尊いとする自分中心な解釈があります。この辺りは時代による釈迦観の違いによるもののようです。
「今日すべき事は明日に延ばさず、確かにしていく事こそ、よい一日を生きる道である」
「過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない」
お釈迦様は現在というものを大切にする人で、これらはまさしく、現在を見つめることの大切さを説いています。
お釈迦様は「老い」、「病」、「死」という人生苦に直面して悟りの道を目指した人ですから、「今」という時の大切さを人一倍感じていたのでしょう。その思いから悟りを開き、その結果として出た言葉には重みがあります。
「もしも愚者が『われは愚かである』と知れば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかも自分は賢者だと思うものこそ、『愚者』と呼ばれる」
これと似たようなものを聞いたことがあるという人もいるでしょう。
古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの「無知の知」とほぼ同じ内容です。無知であることを知ることこそが「知」であるというこの教えは、孔子の論語でも述べられています。知恵ある者が行き着く先は同じということであり、まさしく真理とでもいうべき言葉でしょう。
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裕福な生活を捨てて出家し、人生苦から人々を救うために悟りの道へ入ったお釈迦様。彼の残した言葉は、仏教の経典として今も語り継がれており、これに救われたという人も少なくはないでしょう。
とても尊い存在として崇められるお釈迦様ですが、その教えの根源は「人生苦を恐れる人間らしさ」にあります。そう考えると、雲の上の人などではなく、私たちと同じ、一人の人間だったのでしょう。
宗教に興味を持たずに過ごされている方も多いかと思いますが、こういった所から宗教に対する知識を深めるのも良いのではないでしょうか。
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亡くなった方や仏に向けて、香を焚いて拝む行為を焼香(しょうこう)といいます。ホゥ。