浄土宗は法然を開祖とする仏教宗派の1つです。法然は平安時代末期に浄土宗を開き、当時、貴族中心のものであった仏教を、民衆に広めました。しかしその新しい考え方から、旧仏教勢力から弾圧を受けることになります。法然とはどのような人物だったのでしょうか。
この記事では、法然の幼少期から晩年までの苦難に満ちた生涯をたどり、浄土宗の教えについても解説します。
<この記事の要点>
・浄土宗は念仏を唱えれば、身分などに関わらずどんな人でも救われるという教えがある
・法然は43歳のとき、中国唐代の善導大師の著書「観無量寿経疏」に出会い浄土宗を開く
・浄土宗の「鎮西派」は他力、自力のどちらの方法でも極楽浄土に往生できると説いている
こんな人におすすめ
浄土宗の歴史について知りたい人
法然の生涯について知りたい人
浄土宗の教えが知りたい人
浄土宗は平安時代末期に法然が開いた宗派です。どのような宗派なのかを理解するために、宗派の概要、主要経典、主な寺院について紹介します。
法然は浄土宗を開き、念仏を唱えれば、身分などに関わらずどのような人でも救われるという教えを広めました。天皇、貴族、武士から一般民衆にまでその教えは支持されたものの、新しい仏教の考え方であったため、既存仏教の勢力からは大きな批判を受けることになります。それでも、現在においても多くの信者を集めている歴史ある宗派です。
浄土宗の主要経典は、「無量寿経(むりょうじゅきょう)」「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」「阿弥陀経(あみだきょう)」の「浄土三部経」です。
また、法然が浄土宗の教義をまとめた「選択本願念仏集」は、浄土宗の根本聖典と言われています。その他には「般若心経(はんにゃしんぎょう)」を読むこともあります。
浄土宗の主な寺院としては、まず、総本山である京都の知恩院が挙げられます。法然が草庵を建てて過ごし、亡くなった場所に建てられた寺院です。正式名称は華頂山知恩教院大谷寺であり、本堂は国宝に指定されています。
その他に大本山として、徳川家の菩提寺である増上寺、金戒光明寺、百萬遍知恩寺、清浄華院、善導寺、光明寺、善光寺大本願があります。
法然はどのような人物であったのか、その生涯をたどってみましょう。まずは、幼少期から浄土宗を開くまでの歩みを紹介します。
法然の幼名は勢至丸と言いました。9歳の時、治安を維持する役職についていた父は、対立者に襲われてしまいます。父は亡くなる前に「敵討ちをせずに、出家して弔ってほしい」という遺言を残しました。勢至丸は、僧侶であった叔父の寺で仏教の修行を始めます。
叔父によって才能があることを見出された勢至丸は、京都の比叡山延暦寺に行き、さらに修行に励みます。そこで出家し、天台宗の僧侶となりました。
仏教の指導者となることを勧められましたが、父の供養をするべく、比叡山の中でも静かな地・黒谷へ移り、叡空の弟子となります。ここで「法然房源空」の法名を授かりました。
戦乱の世の中にある人々を救いたいと考え、24歳のときに各宗派の僧を訪ね歩きますが、答えは見つかりません。学び続けるうち、43歳のとき、中国唐代の善導大師の著書「観無量寿経疏」に出会いました。
阿弥陀仏の名を唱えれば誰もが救われるという教えにより、荒廃した世の中に暮らす人々も念仏によって浄土に往生できると、法然の目は開かれました。比叡山を下りた法然は、念仏の教えを人々に伝えていきます。
浄土宗を開いた法然は布教を始めますが、後半生もまた苦悩に満ちたものでした。念仏弟子の命を受けたり、流罪にされたりした後半の生涯について解説します。
関白・九条兼実の依頼を受けて、法然は浄土宗の教えをまとめた「選択本願念仏集」を著しました。その中では、阿弥陀仏を信じて念仏を唱えることで誰もが往生できると述べられています。念仏を唱えさえすればいいという教えは実践しやすいものであり、民衆の間にも広まっていきました。
浄土宗の教えが広まるにつれて、理解を誤ったり、他宗派を批判する者が現れたりもするようになりました。次第に他宗派の寺院との間に軋轢が生じ、比叡山の僧侶が延暦寺の座主に、念仏をやめさせるよう訴えました。
いったん騒動は収まったものの、法然の弟子が、後鳥羽上皇に仕える女官を出家させてしまいます。それに怒った上皇は弟子を死罪にしました。
75歳の法然は土佐への流罪とされましたが、途中で讃岐国への流罪に変更されます。その後、許されて京都に戻ってきましたが、病により80歳で亡くなりました。遺言書である「一枚起請文」には、浄土宗の肝要が記されています。
法然が生涯を通して布教した浄土宗の教えとは、どのようなものなのでしょうか。専修念仏と極楽往生について解説し、鎮西派と西山派の違い、浄土宗と浄土真宗の違いについても説明します。
浄土宗の根幹となる教えは、「南無阿弥陀仏」とひたすら念仏を唱える「専修念仏」によって、阿弥陀仏に救われて極楽浄土へ往生できるということです。
いつでも誰でも念仏を唱えることにより往生でき、極楽浄土にて、先に往生した先祖や友人と再会できると説かれています。
浄土宗の代表的な宗派とされているのが「鎮西派」です。鎮西派は宗教法人浄土宗の中心となっており、念仏を唱えること(他力)と善行を行うこと(自力)のどちらの方法でも極楽浄土に往生できると説きます。この教義が「二類各生説」です。
一方、宗教法人浄土宗に含まれていない宗派「西山派」の教義は、念仏を唱えること(他力)が極楽浄土に往生する唯一の方法であるとする「一類往生説」です。
浄土真宗は、法然の弟子である親鸞が開いた宗派です。念仏を唱えることで極楽浄土へ往生できると説く浄土宗に対して、浄土真宗では、阿弥陀仏に帰依すれば往生できると教えています。浄土真宗において念仏を唱えるのは、往生するためではなく、阿弥陀仏への感謝の気持ちを示すためです。
また、浄土宗には厳しい戒律がありますが、浄土真宗では僧侶の髪型は自由で、妻帯も許されています。
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浄土宗の開祖・法然は、南無阿弥陀仏という念仏を唱えれば、誰でも極楽浄土に往生できるという教えを広めて、仏教を民衆の間にも広めました。その生涯は苦難に満ちていましたが、乱世に生きる人々を救いたいという信念を全うした人生でした。
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