一向宗とは?浄土真宗との違いや「一向一揆」の歴史まで

一向宗とは?浄土真宗との違いや「一向一揆」の歴史まで

一向宗といえば、「一向一揆」をイメージする方が多いかもしれません。また一向宗と浄土真宗の違いが気になる方もいるでしょう。

この記事では一向宗の教えや、他の宗派との関わり、「一向一揆」の歴史までを紐解いていきます。よくある質問もまとめていますので、知識を深めるのに役立つでしょう。

<この記事の要点>
一向宗は鎌倉時代に生まれ、南無阿弥陀仏に心を集中させる教えを持つ仏教宗派である
現在では一向宗という宗派は存在せず、浄土真宗として知られている
一向一揆とは、民衆や信者が政権に対する不満から各地で起こした一揆のこと

こんな人におすすめ

一向宗を信仰している人

一向宗の教えや歴史が気になる人

一向宗と他宗派との違いが知りたい人

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一向宗とは?基本の知識

一向宗とは、鎌倉時代に生まれた仏教宗派です。

ここでは「一向」の意味や浄土真宗との違い、教え、開祖について紹介します。

一向の持つ意味

一向宗の「一向」は、一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)に由来しているとされています。

一向専念無量寿仏の意味は、「一向専念=ひとつのことに心を向けて専念すべし」「無量寿仏=阿弥陀仏」です。つまり、南無阿弥陀仏に心を集中させよととらえられています。

一向宗の教え

一向宗の教えは、大変わかりやすかったと伝えられています。「南無阿弥陀仏と唱えれば、誰でも極楽へ往生できる、という教えでとてもシンプルでした。当時政権に不満を持っていた民衆を中心に、信徒を増やしていったという歴史があります。

一向宗の別名/浄土真宗との違い

一向宗は、現在の浄土真宗のことを指します。呼び名が異なる理由は江戸幕府により、浄土真宗は宗派名を一向宗にする決定がなされたためです。

後に多数の一向宗の信徒は、浄土真宗の門徒になり、宗名論争も起こったようです。しかし明治に入り、一向宗の母体であった浄土真宗の略称「真宗」に表記が変わります。

一向宗は歴史のなかで呼称を変えたり、大半の信徒が離れたりしました。最終的には第二次世界大戦後に浄土真宗に帰属したため、現在では「一向宗」と呼ばれる宗派はありません。

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時宗(じしゅう)との関係

鎌倉時代、僧侶である一遍の開いた仏教の宗派「時宗」が存在していました。踊り念仏を広めた宗派で、「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と書かれた念仏札を配っていたことで知られています。時宗の教えは一向宗と混同されていたため、「時宗一向派」と改名させられた歴史があります。

一向宗を開いた人

一向宗の開祖は、一向俊星(いっこうしゅんしょう)で、鎌倉時代に浄土宗の僧侶だったといわれています。

【一向俊星の生い立ち】

1239年 筑後国(現在の福岡県久留米市)生まれ
1245年 播磨国(現在の兵庫県の南西部)の圓教寺(えんぎょうじ)に入寺、天台教学を修める
1253年 剃髪受戒して名を「俊聖」とする
1254年 書写山を下り南都興福寺で修行するが悟りを得られず
その後、鎌倉蓮華寺の然阿良忠の門弟になる
1273年~ 各地を巡り歩く(遊行)
そこで踊り念仏、天道念仏を体得し道場を開く
1287年 近江国(現在の滋賀県)番場宿の蓮華寺(れんげじ)にて立ち往生して最期を迎える

一向宗の歴史

一向宗は、民衆と結束して一揆を起こし、大名や幕府の武将と戦った宗派です。

ここでは、一向宗の歴史で多く語られる「一向一揆」について取り上げます。

一向一揆について

一向一揆とは、当時政権に不満を抱いていた民衆や信者たちが団結して各地で起こした一揆のことです。最初の一向一揆から約100年間にわたり、守護大名や戦国大名と対立していました。

【主な一向一揆】

・近江、金森合戦
・越中一向一揆
・加賀一向一揆
・大小一揆(享禄の錯乱・天文の錯乱)
・畿内(奈良)一向一揆
・三河一向一揆
・石山合戦
・長島一向一揆
・越前一向一揆

織田信長と一向一揆

織田信長と一向宗や民衆の間では、各地で多くの争いがありました。事の発端は、石山本願寺エリアを占有したい織田信長と、宗教勢力のトップにいた「顕如(けんにょ)」の対立です。

他にも、長島一向一揆だけでなく近江(滋賀)、越前(福井)、加賀(石川)といった各地で一揆を起こし信長を苦しめました。信長による降伏を許さない残酷な攻撃によって、長島一向一揆では2万数千人が鎮圧され、越前一向一揆では1万数千人が殺害されたと言われています。

11年にわたる戦いは、信長の兵糧攻め作戦により終止符が打たれました。食糧不足となった石山本願寺はついに寺を明け渡したと伝えられています。

徳川家康と一向一揆

徳川家康の本拠地である三河国(愛知)で一向宗の信徒たちと争ったのが三河一向一揆です。原因は徳川家康の打ち出した政策で、強引な兵糧(軍隊の食糧)の徴収や寺内における警察権(命令や強制により国民の自由を制限する公権力)の行使が挙げられます。

その後、離反者となった家臣から和議(和解するための協議)を持ちかけられ、応じる姿勢を見せるものの、離反者を三河国外に退去させたあとは取り決めとは異なる命令を下しました。一部離反者の追放や、改宗を言い渡すといった処置により一揆は幕を閉じています。

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まとめ

一向一揆でよく知られる「一向宗」ですが、改宗したり独立したりと、歴史とともに変化してきた宗派です。ただし現在では、浄土真宗として存在しています。浄土真宗の信徒が身内や友人にいる場合、葬儀・法要の作法やマナーを知っておくと、いざというとき役に立つでしょう。

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  • 一向宗の開祖は親鸞?

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